幼い私に声を掛ける。私は、お母さんにどうして欲しかった??
「お母さんとお菓子作りしたかった。」
「お母さんに料理を教えてほしかった」
「私の想いを蔑ろにして欲しくなかった」
「私の気持ちを受け止めて欲しかった」
「夜中、頭が痛くなった時に泣きわめいたけど、お母さんにそばにきて欲しかった」
「姉より私の味方をして欲しかった」
「母の笑顔が見たかった」
笑ってるお母さんが、大好きだった。でも、私に寄り添うことはしてこなかった。頑張りの強要。そして、鬱になった。母は、私のことなんか考えてない。
違う。勝手に頑張ってたのは、私。母は私のことを考えてないわけでもないのも分かってる。でも、心が納得しない。私が泣いてる。
幼い私になんて声を掛ける?
もう、頑張らなくていいんだよ。愛されようと頑張らなくていいんだよ。
え、、、私、愛されるために頑張ってきてたんだ…頑張らなくていいんだよって言葉、泣きそう。
私は、母にどうして欲しかった??
私の話を聞いて、肯定して欲しかった。
私に料理を教えて欲しかった。
一緒におやつも作りたかった。
楽しく一緒に作りたかった。
優しい言葉を掛けて欲しかった。
こっちを向いて欲しかった。
私に寄り添って欲しかった。
笑顔を見せて欲しかった。
実際には「姉が嫌い」に対して「そんなこと言っちゃダメ」
不安で抜毛癖があった時には一言「禿げるよ」と言い放つだけ。
「子どもの頃、一緒におやつ作りたかった」に対しては「あんたなら分かってくれると思ってたのに」
は?知らねえよ
大恋愛して、周りから反対されながらも結婚して、自分で望んだんでしょう?自分で選んだんでしょう?離婚しないのも自分で決めたんでしょう?子どもに八つ当たってんじゃねえよ。最低な親だな。
私のそばに、空から大きな光の柱を下ろしてきて、その中に、母に入ってもらう。
その光の柱の中に、小さな私が感じていた悲しみやつらさの感情をひとつひとつ箱に入れて、母と一緒に空の遠いところに送っちゃう。
代わりに、空の向こうから「いいお母さん」に来てもらう。
いいお母さんは、小さい私がしてほしかったことを何でもしてくれるお母さん。して欲しかったこと、なんでもしてもらう。
いいお母さんが現れる
お母さんとドーナツ作る。肉じゃがを教えてもらう。私の想いを肯定してもらう。嫌だったんだね、悲しかったんだねってなでなでしてくれる。私のほうを向いて笑いかけてくれる。十分頑張ってるよって言ってくれる。笑顔を向けてくれる。ぎゅ〜って抱きしめてくれる。アスレチックに行って、身体いっぱい動かす。お母さんが見ててくれるから安心して遊べる。疲れたら水筒の冷たい麦茶。手作りのお弁当。デザートには、私が前日に庭から摘んできたユスラウメ。すごくおいしい。帰りは疲れて車の中で寝ちゃう。
どうだった?一緒にドーナツを作って、肉じゃが教えてもらうあたりで、もう胸がいっぱいになった。満足だよ。
小さな私の胸に今の私が手を当てて、優しい気持ちを送り込みながら、声をかける。
ひとりじゃないよ。私がいるよ。
今の私にはなんて声をかける?
大丈夫だよ。いつでも戻ってきていいよ。
これから先、今の私ができることはある?
もう、甘いスイーツやお菓子を与えなくて大丈夫。
ユスラウメの木も枇杷の木もいちじくの木も、実家にはもうないけど、バナナとか、ふかしたさつまいもとか、かぼちゃとか。おやつはそういうのでいいんだよ。娘とスイートポテト作ろう。
おわり。
驚きって感じでもなかったんだけど、あー、私母親の笑顔を見たい、って思ってたんだあ〜。って思い出した感じ。だからお手伝いいっぱいする子だったんだ。
それと同時に、人の感情を抑圧できると思ってんの?自分の感情を抑圧してるから他人にも強要すんだろうが。娘の心殺してんじゃねえよ。とも思ってる。
罪悪感を剥がしていくと、自分のほんとの感情が出てくる。怒りやさみしさ。それを感じていると、愛のエネルギーがでてくる。母親の笑顔が見たいだなんて、思ってもなかった。でも、確か母親の誕生日か母の日に、バレッタを買ってプレゼントしたの覚えてる。お母さんにぴったりだと思ったから。お母さんが可愛くなると思ったから。
今回は、自分の奥深くにある想いを知ってしまった。
私は、真実を知ると自分自身にチカラが戻ると思っていて、今回も、足を引っ張るエネルギーが抜けた感はある。寝る時や起きたとき、胸のあたりの重苦しさがなかった。
今は、ドキドキしてる。
今回は、そんな感じで終わります。
ADHDなつこのLINE公式アカウント「障害の概念のない世界を生きよう」はこちら。日々生きやすくなるメッセージを配信しています。コーチングの申し込みもこちらからどうぞ♪→https://lin.ee/dLe8eOs