なつこの想いを言葉にするブログ

ADHD(診断済み)なつこが生きやすくするためにしてきたこと、感じていることなどを言葉にしていきます。

発達障害とは?

特性が濃くても発達障害と診断されない人がいる。

特性が薄くても発達障害と診断される人がいる。

じゃあ、発達特性=発達障害ではないよね。

 

特性があっても障害とならない人は、自分は何が苦手で、何が好きかを知っている人だと思う。苦手に対してヘルプを出すことができたり配慮をしてもらう。好きなことにはとことん追求することができる。

 

今、子どもたちの発達障害の診断はずっと右肩上がり。なぜこんなことになってしまったか。授業中座ってられないから発達障害、授業中何度も質問して授業が進まないから発達障害、何度注意しても忘れ物がなくならないから発達障害、クラスメイトと仲良くできないから発達障害

学校でいじめがあって、学校に行けなくなったら発達障害。ん?おかしいよね。障害の診断が対症療法的。

 

もし、学びのスタイルが学校ではなくホームスクーリングだったら、これらは問題にならなかったよね。アインシュタインも学校が合わなくて母親が勉強を教えてた。あのまま学校に無理に行かせていたら適応障害になっていたと思う。彼は発達特性があったのであって発達障害だったわけではない。というのが私の考え。

 

よく、この偉人も発達障害だった。なんて記事が出るけど、発達障害の診断は医療機関精神科医が行うんでしょう?偉人である彼らには特性があるんであって発達障害ではない。彼らには発達特性があった、と言うべき。

 

いつから発達特性が良くないものとされるようになってしまったのか。私は権威主義が始まってからだと考えてる。王立協会でアイザック・ニュートンが会長になるまえは、実験をしながらわいわいやっていたのに、ニュートンが学会に権威を持ち込んでしまった。仮説→実験→結果という流れが主流となり、仮説が正しいと正当化するため細工が施されていく。

発達障害も、原因が脳の機能障害、脳の器質異常とされているが、それは仮説。ADHD治療薬は、モノアミン仮説に基づいて、こういうふうに効くんですよと医師から説明されるが、ADHD治療薬の添付文書を読むと、薬効薬理の作用機序には「メチルフェニデートは、ドパミン及びノルアドレナリントランスポーターに結合し、再取り込みを抑制することにより、シナプス間隙に存在するドパミン及びノルアドレナリンを増加させて神経系の機能を亢進するものと考えられているが、AD/HDの治療効果における詳細な作用機序は十分に解明されていない」と書かれている。つまり、モノアミン仮説もただの仮説のひとつにすぎないことがわかる。

そもそもADHDは先天性の障害といわれているのに治療とは?ADHD治療薬の正体は覚醒剤。覚醒させて特性を消しているに過ぎない。だから、薬を飲んで30分くらいしたら効きはじめ(現在流通しているADHD治療薬は徐放性)だいたい12時間効果が持続(個人差あり)そのあとどっと疲労感が押し寄せる。薬で治療ができるなら発達障害は先天性ではないのでは?なぜ治療薬と称しているのか?薬は学校に適応するため、仕事に適応するための対症療法でしかない。

 

現代の医学ではモノアミン仮説を前提として薬の処方がなされているが、この仮説の矛盾は研究者の間では古くから認識をされているそう。かわりに、ストレスホルモン仮説や神経栄養因子仮説などが注目されている。私自身の実体験からもストレスホルモン仮説の方が有力だと考えてる。

 

学校は未だ全体主義を引きずっていて、社会に出るより学校の方が過酷という印象を受ける。不登校になったらなったで、先生や周りの人間が「義務教育くらい行けてないと将来働けない」とか「いま学校に行かなかったらずっと引きこもりになる」という呪いの言葉を押し付ける。ちなみに、学歴とビジネススキルに相関関係はないということは証明されている。呪いの言葉で子どもや親の不安を煽り、エネルギーを消耗させていくことの方が問題。教師のなんとか学校に登校させたいという思いがこのような呪いの言葉に繋がるのだろうが、罪悪感を植え付けて将来を不安にさせて、学校に行けるようになるわけがない。

 

キネシオロジーによって、チカラを与える言葉とチカラを奪う言葉が科学的に証明されている(デヴィッド・R・ホーキンズの「意識のマップ」参照)いまの学校のシステムが、子どもたちからチカラを奪ってきた。その結果が2023年11月に発表された不登校30万人なのではないか。学校に行けない。じゃあどうするか。どんな選択肢があるのか。まわりは呪いの言葉をかけてくると思うけど、呪いの言葉だと気付くだけでもダメージは減らせる。後ろ向きではなく前向きに、自身を傷つけることなく選択して欲しいと願う。

 

さて、特性の話に戻る。発達障害という概念が入ってきたのは1980年代。そこから右肩上がりに増えてきた。発達障害は一般的には脳の機能障害、脳の器質異常などといわれるが、それは仮説でしかない。みんなと同じにできないから発達障害?現在、成功者と言われる人たちはみな特性を持っていた。1989年世界時価総額ランキングで日本はトップ5を独占、50位のなかに日本企業が32社も入っていた。一方、2022年には50位中、日本の企業は31位のトヨタ自動車の一社だけ。この30年ほどで何があった?優秀な人材が海外に流れたということも考えられる。けど、特性ある子どもを障害としてしまったことも大きかったんじゃないかと思う。まわりと同じようにできないから障害というレッテルを貼り、その子のチカラを奪う。そんなことを繰り返してきた結果が今なのではないか。学校では失敗をしないようさせないよう教育され、大人しくできない子は発達障害のレッテルを貼られ、チカラを奪われる。画一的な教育の結果、チャレンジをせず安定を求める人材ばかりが企業にのさばることになったのではないか。

 

ADHDって障害? 空気が読めない→物怖じしない。注意力散漫→興味ないことには注意を向けられない。ハイパーフォーカス→興味あることには没頭できる。忘れちゃう→忘れるから新しい情報を取り込める。じっとしていられない→エネルギーが有り余ってる。突発的な言葉が多い→直感が優れてる。すぐ行動しちゃう→フットワークが軽い。

これらをしちゃうことで/できないことで障害とされるのはおかしい。いま挙げた特性は成功者に共通してる。子どもの頃は破天荒だった人が多いでしょう?だけど当時は発達障害なんて概念なかった。いまはたくさんの子どもたちが診断されてる。レッテルを貼られてる。障害と診断して子どもを潰すことは日本の未来を潰すこと。2023年の11月に不登校が30万人というニュースが流れた。このなかに特性をもつ子たちも多いと思う。学校に行かなきゃいけないって思ってる子どもも多いと思う。だけど、令和元年 10 月25 日の文科省の通達から「学校復帰」の文言がある通知は廃止されて「社会的自立」を目指すことが明記された。子どもにあるのは教育を受ける権利のはず。まずは教育機会確保法を調べて欲しい(https://futoko-net.org/wp/wp-content/uploads/2022/01/9d33b46d877b26f5ef41bd0240f9cffb.pdf

 

発達障害は子どもだけの問題なんかじゃない。子どもに発達障害って診断をして、療育をしたり関わったりしてどんなことが起きたと思う?相手のなかに見出したものは自分の中にもあるんだよ。発達障害と診断された子たちと関わった大人たちが、自分のなかに同じ特性があると気付いた。それが大人の発達障害のはじまり。必要だから持って生まれた特性なのに、普通じゃないと否定して、今度はそれを自分のなかに見つけて自分を否定して。発達障害のレッテルは誰も幸せにはしない。だったら、あなたもマル、私もマル、で生きていい。ジャッジするからどんどん生きづらくなるんだよ。

 

「レッテルの力は破壊の力である」と言ったのはアメリカの精神科医アレン・フランセス。「正常を救え」の書籍のなかで、

 

 精神疾患のレッテルは、大きな二次被害をもたらしかねない「しるし」になる。偏見はいろいろな形をとり、あらゆる方向からもたらされる。露骨であからさまな場合があるが、きわめてとらえがたい場合もある。それは残酷なことばだったり、冷たい笑いだったり、集団からの追放だったり、就職機会の制限だったり、求婚の拒否だったり、生命保険の謝絶だったり、養子縁組みや飛行機の操縦の不許可だったりする。だが、希望が前より持てなくなったり、必要でないときや頼んでないときにまで助けの手を差し伸べられたり、本人が気まずくなるほどの同情をしきりに示されたりすることも、そのうちにはいる。

 さらに、精神疾患心理的、現実的な二次被害は、自分に対する他人の見方だけから生じるのではない。問題の多くは、自分に対する自分の見方が変わることによって生じる。ーー自分は欠陥商品だ、正常ではない、価値がない、集団の立派な一員ではない、などと感じることによって。(p183)

 

と述べている。障害の概念のない世界をつくりたい私としては、心から納得する箇所だった。

 

いま、子どもたちを取り巻く環境は厳しさを増している。子どもの定期接種は昔と比べてかなりの数になっているし、ライフスタイル、農薬、睡眠不足、栄養不足、ストレス、感覚過敏/感覚鈍麻への無理解、愛着形成不全、いろいろな問題が子どもたちを取り巻く。今、私たちが生きづらいと思っているこの社会を、子どもたちに引き継がせることはできない。登校拒否の子やその親ががんばって形にしてくれた教育機会確保法を埋もれさせてはいけない。もっと知ってほしい。前向きに生きるために、使えるものは使っていく。だってそのためにあるんだから。

 

誰になんと言われようと、自分の人生の責任を取れるのは自分だけ。これからも発信していくのでよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

まめしばのおうち、今月は4月21日開催です♪

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