今年から私からお願いして仕事が週5になって、その後、一緒に働いていた仲間が辞めていき…(思い出したら目がじわってきた)新年度から入ってきた一年生の中に瞬間湯沸かし器がおって(それでも可愛い)スタッフの人数も少ない中、ほんとうに大変ななか、今日、賞与が…!!
こんくらいだったら嬉しいな♪の、倍入ってて2度見した。
やっぱ臨時収入って嬉しすぎるな。大変だった日々が報われた感じがした。あと、お金の余裕って安心感にもつながる。もぉ、めっちゃ満たされてるもん。
以前から行きたい場所があって、チャットGPTで、その旅行のシミュレーションしちゃった。妄想が膨らむ。幸せや。総額出してもらったら高かったw
まぁ2泊したら高くなるのは当然だよね。いつか、この一人旅ができたらなって。
受験生の娘がいるからねー。今、目の前で勉強してるわ。がんばってるねぇ。声に出さずにファイト♡
前世の話と『ぼくの地球を守って』
昨日、なつおと前世の話になって。なつおは前々から
「前世は絞首刑になったイタリア人」って言ってて。中世だと絞首刑は当たり前だったみたいで。じゃあなんで絞首刑になったのか?なつおは、つまらないことで絞首刑になったって言ってたけど、私は、なつおの性格的に
「お上に逆らったんじゃない?」
って言うと、そうかもー、って納得してた。
「私は前世っていうか、マルデックだったよ。火星と木星の間にあった星。今は小惑星帯になってる。子どものときに見た宇宙の図鑑で星の方程式っていうのがあって、その計算で行くとここに星があるはずだって導き出してて、でも星はなくて、よくよく調べたら星の残骸(小惑星帯)があったんだって。アステロイドベルトって呼ばれてるよ。間違って核で破壊されちゃったんだ」
って言うと、それに対して
「宗教みたい」
と一言。むか!
「だから核はダメなんだって方向に持って行きたいんでしょ?道徳みたいな」
なんでも宗教に結びつけんなや。
そんなこんなしてたら、うちのニャンコが玄関でなつおのサンダルにおしっこしたので、ちょっとだけ手伝って、あとよろしくー!って図書館に出かけたの。予約してた本『わたしは、あなたとわたしの区別がつかない』って本。中三の夏休みに書いた作文が賞をもらったことがきっかけになって本を書くことになったんだって。これはまたいつかブログに書きたい。
そこからセカストに服を売りに行こうとして、快活クラブの近くに差しかかったの。数日前に、子どもの頃友人の家で読んだ漫画を思い出して、そういえば結末知らない。何巻まで読んだか、内容もざっくりとしか出てこない。思い立って、そこの快活クラブにその漫画があるかググって、あると知ると快活に吸い込まれていった。
本の名前は『ぼくの地球を守って』
3時間だけと思ってたら止まらなくって6時間滞在しちゃった。もう、すごい。16巻まで読んだ。この話も前世の話で、星間戦争で母星が消滅しちゃったんだ。他人事とは思えなかったし、今これを読んでる意味とか。なつおと前世の話をしてる直後に、とか。
続きが気になりすぎる。今日も行ってくる。
追っかけてた裁判の判決が!!
私が追いかけていた裁判の判決が今日、言い渡されました。
この裁判は、当時13歳だった男の子が登校途中に大人10人くらいに囲まれバンに乗せられ精神病院へ連れて行かれて、勝手に診断され(それまで精神疾患の診断歴なし)医療保護入院させられた、という内容。違憲訴訟として裁判をしていたんだけど、今日、原告側の訴えが棄却されました。
この判決を聞いたとき、ポカーン!!ってなるくらい。始まったと思ったら、判決を下して、サァーっと去っていった。えー!!それだけ?!しかも棄却?!脳が追いつかなかった。
だって、裁判では寄り添ってくれてるように思ったよ。なのに判決では掌を返したようにすごく冷たく感じた。
これが違憲じゃないなら被告側の提出した書類、黒塗りなんてしなくてよかったじゃんか。東京都と病院のなすりつけあいはなんだったの?裁判長は、本当にこの判決に納得して言い渡したの?疑問がいっぱい。
もしかしたら裁判長にも家庭があるから、この判決をしなければならなかったとか、国家権力に屈したとか、いろいろ考えちゃう。
この裁判、私は何度か傍聴に行き、息子と娘も連れて傍聴したこともあった裁判。急だったけど、前日の夜に誘ったら息子も娘も「いく」とのことで、3人で行くことに。今日は東京地方裁判所にちょっと早めについたので、息子と娘と地下一階の売店へ。ファミリーマートがあったよ。裁判や法律関係などの難しそうな本を扱ってる本屋さんやイートインコーナー、食堂とかあった。今回でもう東京地方裁判所に来ることはないと思ったから覗いてみたかったんだ。ファミマの果肉トロ甘ひんやりメロン、めっちゃおいしかった。
そんなこんなで時間潰して709号法廷行ったら結構行列ができていて。あれあれ、入れるかな?周りの人が話している内容から察すると、立ち見はだめ。入れるかどうかわからない。とのこと。
えー!!ここまできて入れないとかー。って思ったけど、ぎり入れて(40人くらい入れたかな)判決を聞くに至りました。
今回の裁判の判決、闇を感じざるをえなかった。
これが通ったんなら、誰でも生活してるなかで子どもが拉致されちゃうじゃん。10人ほどの大人に囲まれて、身の危険を感じないが方おかしい。そりゃあばれるし、この人たちは誰か、どこに連れてかれるか教えてもらえなかったらなおさらだよ。しかも勝手に診断されて、医療保護入院で隔離でしょう?何年隔離されるかわかったもんじゃない。
この判決、あなたはどう感じましたか?
7月1日判決へ!原告の訴えは届くのか 子どもと精神医療意見訴訟 倉持麟太郎の「このクソ素晴らしき世界」 https://youtu.be/NreKAbdl0Cw?si=IjZXk1FbC-10On7K 7月1日本日判決。判決速報 子どもと精神医療違憲訴訟 倉持麟太郎の「このクソ素晴らしき世界」https://www.youtube.com/live/yU2ETIYngg8?si=CcsqmNOoBf5vnz9r 本日18時から公開予定(予告あり)
ビジュアルシンカー(視覚思考者)と言語思考者
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ライブ配信で積読チャンネルの話してたら「ゆる言語学ラジオのビジュアルシンカー回がめっちゃオモロかった〜」とのコメントをいただき聴くことになったビジュアルシンカーの話。
これが私にすごい刺さって。私自身もビジュアルシンカーと感じる部分があったし、何かを言葉にするとき脳内にあるカタチにピントを合わせようとしてたりする。しっかり見ようとすると(言語化しようとすると)シュルシュルと消えてっちゃうこともある。あれ?何を言おうとしてたんだっけ?なんのこと考えてたんだっけ?
これって、ビジュアルシンカーかな。
ゆる言語学ラジオのビジュアルシンカー回を紹介されて視聴したらすごく面白かったので紹介したい。紹介してくれたくぼともさん、ありがとう。
ビジュアルシンカーとは、脳が視覚の回路を使って情報を処理する思考のプロセスのこと。ビジュアルシンカーでも、物体視覚思考者と空間視覚思考者に分かれるらしい。
私は空間認知能力が弱い気がするので物体視覚思考者かな?(知らんけど)
ビジュアルシンカーは生きづらいという話もしていて、それは、言語思考者が設計した社会だからだと話されていて、言語思考者ゴリゴリの水野さん堀本さんは、言語思考者が設計した社会によって得をしているとも言ってた。今の社会が言語に偏ってる。
もしこの社会が視覚思考者によって作られた社会なら、言語思考者である彼らは生きづらかったはずだ。それにしても、視覚思考ってなんだろう?
支援をしてきた子で、設計図がなくてもすごい立体をそらでつくりだす子たちが何人かいたのを思い出す。 そういえば、ピタゴラスイッチが好きな子も多い。
私は以前は言葉を重ねれば重ねるほど伝わると思っていたんだけど、今は、言葉を重ねれば重ねるほど伝わらないってことがあると思っていて。言葉って、本当に必要?
最近は、お絵かきクリエイターや図解デザイナーなど、視覚に訴える仕事も増えているなぁと感じてる。言語優位の社会からバランスをとろうとしているのかもしれない。
ちなみに、数日悩んで『ビジュアル・シンカーの脳』をポチりました!!
帯に、ゆる言語学ラジオ!!すごい影響力〜。

自分を整える
最近、「整える」ってことをしてるなぁと思ったので、少しアウトプットしてみる。子どもたちの支援でも、「整える」って大事だなと感じてる。叱るんじゃなくて、諭すのでもなく、整える。
神経系が過敏になっているのを、整える。
例えば、支援の現場で、暴力的なスイッチが入っちゃった子(Kくんとします)を送迎で車に乗せなきゃいけないとき。実際殴るわけじゃないけど、振りかぶって怯えさせる。ほかの子たちに精神的苦痛を与えるこの行為に、(乗車させられない)と判断。
「これじゃあ車に乗れないから、なつこさんと歩いて帰ろう」
なんで?やだよ!!と言っていたけれど
「だって、そんなことするんなら乗せられないもん。無理です。」
Kくんの家は余裕で歩ける距離なんだけど、車で帰りたいようなので、お約束をして、一番後ろの座席に私とKくん。もともと一番後ろの席に座ってた子がいたんだけど、Kくんが自分で、席を代わって欲しいとお願いをし、移動してもらった。
私と隣になることで落ち着こうとしてることがわかったので、私自身、さらに心を整えるのに専念した(大人の感情って、子どもに伝わるんですよ)
あとは、また別の子(Oくんとします)この子は試し行動がすごいの。行動も言葉も。私は「それは嫌だよ」ってストレートに言う。あいまいが一番だめだと感じるから。
この子を変えようとしない
自分を冷たい人だと思わない
境界線を引くことも支援
淡々と結果を返す支援はOくんにとっては、予測可能な大人かもしれない。
Oくんははこれまで、人によって反応が違う、怒れば譲ってもらえる、謝れば帳消しになるという不安定な世界で人と関わってきたのかも。
境界線とは
「ここまでは一緒にいられる。ここから先はできない」
を、毎回同じ形で示すこと。
だから、私たち大人が、機嫌で対応が変わったり、急に怒ったり、優しい時と厳しい時の差が激しかったり、そういう予測不能を表に出さないこと。
そうそう、だから、私たちは整える必要がある。
これは、子どもにとって「世界が一定である」という体験になる。
境界線は、
これ以上やったらどうなるか分かる
試さなくていい
失敗しても世界が壊れない
→防衛の必要が下がる。
「謝っても、すぐ元には戻らないよ」
「行動が変わるまでは、距離はそのままです」
許さない、ではなく、結果は変わらない「行動の結果を淡々と返す」支援。
以前の私は、境界線がないに等しかったから、今は境界線の大切さがものすごくわかる。こんなに大事なものなのに、私、全然学んでこなかったし、大人になってからも知らなかったんだ。
家でも、境界線やってるんだ。主になつお(なつこの夫)に対してだけど。
先ほども話をしていて、なつおがめっちゃ極端な反応をしてきたので、
「話はここまでにするねー、二階に行くねー」
と言って離れたよ。イライラした感じの人と、おんなじ部屋になんかいられないもん♪(イライラはなつおのもの。受け取らないのも大事☆)
なつおにイラッとしたら、距離が近いサインだって捉えることにしたの。そうしたら離れることができるでしょう?これ、ほんとうにいいよ!
「自分を整える」ぜひやってみてね!
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バイオレット・フレームってなに?【感情の扱い方】
バイオレット・フレーム(Violet Flame/紫の炎)は、
一言でいうと
「ネガティブなエネルギーやカルマを“変容”させるとされる紫の炎のイメージ」
-
怒り・罪悪感・恐れ・トラウマ
-
過去世のカルマ
-
人間関係の重たい感情
こういうものを
燃やして消すというより、質を変える(錬金術的)
という考え方。破壊じゃなくて変換ってのがポイント。
知らないって人も多いかもしれないけど、スピリチュアル界隈ではわりと定番ワードらしいので、聞いたことある!って人もいるかも。
このルーツは、
セント・ジャーメイン
-
「アセンデッドマスター(悟った存在)」の一人
-
バイオレット・フレームの守護者的存在
-
「自由・変容・錬金術」を司る
このへんから
「紫の炎をイメージして唱えると浄化される」
という実践が広まった。
色としての「紫」の意味
ここは心理的にも面白いところ。
紫は👇
-
赤(身体・本能)+青(思考・理性)の中間
-
高次・統合・変容の象徴
だから
「混乱→統合」「重さ→軽さ」
を象徴する色として使われやすい。
バイオレット・フレーム
バイオレット・フレームを、神経系・心理の言葉にすると
-
紫の炎=安全な変容イメージ
-
「消す」ではなく「変わっていい」という許可
-
トラウマに直接触らず、距離を保ったまま処理する方法
これ、実は
✔ ポリヴェーガル
✔ イメージ療法
✔ パーツワーク
とかなり近い。象徴を使って神経系を安心させる技法とも言える。
注意点まとめると
バイオレット・フレームが危うくなる瞬間もあって👇
-
「紫の炎やったから大丈夫」で現実対応を飛ばす
-
怒りや悲しみを感じる前に“浄化”してしまう
-
支配・被害・構造の問題を個人のエネルギー処理に矮小化
まとめると
バイオレット・フレームは
-
スピ界隈では:
👉 紫の炎によるカルマ・感情の変容 -
現実的に読むなら:
👉 象徴イメージを使った自己調整ツール
魔法じゃないけど、使い方次第で意味はある
-
バイオレット・フレームは、福祉・支援の現場ではこう翻訳できる👇
「強すぎる感情や記憶を、
そのまま抱え込まずに“安全な距離で変換するためのイメージ介入」
魔法でも浄化でもない。
感情処理の緩衝領域。
福祉・支援の現場で
「紫の炎で浄化しようね」は、
-
世界観の押し付け
-
現実検討能力の低下を助長
-
トラウマの早期介入リスク
がある。
だから
👉 意味だけ残して、言葉と枠組みを総入れ替えする。
翻訳①:神経系ベースの言葉
スピ用語
バイオレット・フレームで感情を変容させる
支援現場用
「今の気持ちを、体がびっくりしない形に“薄めて扱う”」
具体的な声かけ
-
「その気持ち、今は強すぎるね」
-
「いったん、ちょっとだけ遠くに置いてみようか」
-
「小さくして、箱に入れておこう」
👉 “消す”じゃない。“距離を取る”。
翻訳②:視覚化(安全なイメージ)
紫の炎 → 色・光・形は自由に変更
例👇
-
霧になる
-
シャボン玉に入れる
-
フィルターをかける
-
音量を下げるつまみ
子ども向け
「その気持ち、音量つまみがあるみたいだね」
大人向け
「刺激強度を下げるイメージを使います」
翻訳③:行為レベル(実践)
スピ界隈
-
目を閉じて紫の炎をイメージ
支援現場
-
目は開けたままOK
-
体感覚を先に使う
例
-
手を机に置く
-
足の裏に体重を乗せる
-
「今ここ」にある物を3つ言う
→ その上で
「さっきの気持ち、今どのくらい?」
と確認。
翻訳④:支援者の立ち位置
スピだと
👉「私が浄化してあげる」
福祉だと
👉 「本人が調整できる力を一緒に探す」
だから言い切りはしない。
-
❌「これで楽になるよ」
-
⭕「もし合いそうなら、試してみる?」
気持ちって、自分でも扱えないくらい大きくなるときってあるよね。ネガティブでもポジティブでも。
犬って嬉しすぎて、うれションしちゃう時あるけど、人間でそれやったらドン引きでしょう?(神経系的には、ポジティブ=安全 ではない)
「感情を消すんじゃなくて、
扱えるサイズに変える練習」
これが
バイオレット・フレームの完全翻訳版。
-
「あなたは浄化が必要」→ ❌
-
「今は刺激が強い状態」→ ⭕
状態として扱うから、チカラを奪わない。
感情を消すんじゃなくて、扱えるサイズに変える練習
なんでこれが使えるのかっていうのは
① 感情を敵にしない
「消す」「なくす」って言われた瞬間、
身体は防衛に入る。
でも
**「サイズを変える」**は
👉 味方のまま調整する って意味になる。
② 主導権が本人に残る
-
レッテル:外から決められる
-
状態:今どうかを一緒に見る
「今は大きいね」
「今は扱えるね」
“今”は変わる前提だから、希望がある。
③ 支援者が“上”に立たない
これ、超重要。
-
治す人/治される人
-
浄化する人/される人
この構図を作らない。
「一緒に調整する人」になる。
支援とは、
その人が自分の状態を“扱える”感覚を取り戻す手助け
感情を扱えるって、
感情を我慢することじゃなくて、
自分の器に合わせて注ぐこと
多くの人は
-
出しすぎて怒られる
-
抑えすぎて壊れる
の二択になる。でも本当は
感じていい
でも、扱える量で
自分の感情だもの、否定しないで扱える量にして感じていこう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
許せないとき、どうするか?
今日のテーマは、だれもが経験したことがあるであろう「許せない」について。
私もあったよ、許せないこと。腹立ちまくって、一生許せないって。許せないまま一生終わるのかと思ったくらい。苦しいよね。
私がやってよかったのは、無理に許そうとしなかったこと。だって、許せないんだからしょうがなくない?「許せない」んじゃなくて、「許さない」にすると、エネルギーが強くなるよ。カタカムナの数霊で、違いを見てみよう。
ユルセナイ(数霊:37+12+36+14+5=104)
ユルサナイ(数霊:37+12+28+14+5=96)
違いを太字にしてみたよ。セ(数霊:36 引き受ける)と、サ(数霊:28 遮り・差)
許せない、許さない、これらはどちらも「許す+否定」だけど、
許せない→「許さなきゃいけないんだけど、許せない」引き受けることが求められる雰囲気がある。
一方、
許さない→「誰になんと言われようが絶対に許さない」周囲を遮って、揺らがない意思を感じる。強い拒絶の意思を含んだ言葉。
次に、数霊の合計数を見てみよう。
ユルセナイ(数霊:104) 10(指向・思考・芽)+4(新しい・陽)通る文章にすると、思考が新しくなる。(許せない、けど、心が狭いって思われるかな)(許せない、けど、もういい加減、許さなくちゃ)これで納得してないのに許すと、結局許せない気持ちを長く引きずることになるよ。
ユルサナイ(数霊:96)96(発信放射する広がり)「許さなくちゃ」「許すべきだ」と思っている人に比べて、「許さない」と言ってる人の方が、案外早くケロッとするのを見たことがある。感情を出さない人より、出す人の方が切り替えがずっと早い。
私自身、一生許せないと思って、あー、死ぬまで許せないで人生終わるんだなぁ。って思っていたけれど、2年くらいで許そっかな。という気にはなったんだよ。考えたら、一生許さないって、すんごいエネルギーだよね。それなら自分を幸せにした方がいいじゃんって思うけど、本人はそれができないんだよね。だから、許さなくていいです。
エネルギーを持て余していることに悩んでるなら、そのエネルギーを昇華するって手もある。
わかりやすくいうと、
学歴を馬鹿にされたなら、勉強に向かうエネルギーにする
容姿をけなされたら、美しくなる方向にエネルギーを使う
暴力を振るわれたなら、心と身体を回復させることにエネルギーを使う。そして暴力を許さない環境を作る力に変える
ですかね。これが正しいとか正解というわけではなくて、これらはたくさんあるうちの選択肢のうちのひとつ。
許せないとき、「どうするか?」じゃなくて、自分が「どうしたいか?」なんだよ。
「許せない」という言葉が、許すことを引き受けることができない!という叫びなら、いっそ「許さない」と思ってしまえばいい。許しは、誰かに言われてするものではないし、自分が強く許そう!と思って許せるものではない。
「許す」の語源は「緩(ゆる)ます」本当の意味で相手を許すときは、力が抜ける感覚になる。「もう、いっか」って。
許せないなら、許さなくていいよ。苦しいなら過剰なエネルギーを発散させよう。カラオケなんておすすめだけど。山登り?なんでもいいんだよ。何もしたくないなら何もしなくてもいい。そうしていたら、自分のなかから何かしたいって思いが出てくるかも。
まめしばのおうちに遊びに来るのもいいですよ。
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