なつこの想いを言葉にするブログ

ADHD(診断済み)なつこが生きやすくするためにしてきたこと、感じていることなどを言葉にしていきます。

フラットアーサーという生き方

 


障害って、生きづらさのことなんだけど

 


原因は環境なんだよ!!

 


その子が悪いのではないし、ただの特性だし

 


周りがその子の特性に寄り添えてない、理解できてないだけなんだよ

 


障害っていうのは、分離を生むためのもの。

 

 

 

今の学校教育は、学習指導要領に沿わないといけない。それを疑問に思う先生はどれくらいいるだろう。

 


発達特性のある子はしんどいんだよ。頑張ってるんだよ。

 


頑張っても、怒られたり、注意されたりするんだよ。

 


学校でも家でもそんなだったら、無価値感や自己否定が大きくなる。

 


発達特性は、感覚の過敏、鈍麻というかたちで現れてる

 


その過敏さを、我慢してる。

 


周りに合わせようとして、頑張って頑張って、

 


学校へ行けなくなったり、自傷行為に繋がったりする。

 

 

 

その子の感覚を理解することは難しい。もし理解することができたら、

 


「え!そんなに我慢してきたの?なんで言ってくれないの〜!」

 


なんて、きっと言い出す。

 


我慢をさせすぎたことに気付いて愕然とするかもしれない。

 

 

 

本人が一番認知的不協和を感じていて、

 


それが、感覚による感じ方の違いによるものだなんてわからないまま

 


なんで自分は普通にできないんだろうって悩んで、

 


普通と言われるものに近づこうとして、無理を重ねて

 


でも、頑張りの先には頑張りしかないから、

 


どこかで破綻する。

 

 

 

適応させることが目的になっちゃいけない。

 


本人が生きやすいように、環境を整えること。

 


まずは、学校がしんどいのなら、行かなくていい。

 


特に義務教育は、発達特性のある子にとってみたら

 


その子の人生の中で一番苦しい時期になる。

 

 

 

もし自分の子が学校に行けなくなったら

 


その子はそれまで頑張って、頑張って、頑張ってきたはずだから

 


ゆっくり休ませてあげて欲しいな。

 


怠けじゃないの。だらけじゃないの。

 


お母さんの育て方が悪いんじゃないの。

 


環境が合わないの。

 

 

 

学びの選択肢が、学校に通うことしかないっていうの、おかしいと思わない??

 


大人には有給があって、子どもにはない

 


大人は上司が合わなかったら部署変えてもらうことができるのに、子どもは担任を変えてもらうことができない

 

 

 

蛍光灯が眩しすぎて苦痛。教室のざわつきが大音量に聞こえてつらい。

 


給食を残すのを許されない、先生の理解のなさ。

 


興味ないことの強要とその時間の長さ

 

不安をあおって行動を促すこと

 

 

 

私が学んだのは、我慢の先には我慢しかないということ。

 


学校に行けないなら、行かなくていいのよ。

 


学習指導要領の通りにしか教えない学校って、その子の学びになるかな

 


ただ詰め込むだけの教育。

 


教師の役割って、それ?

 


違うよね。

 

 

 

集団からはじき出された子が、発達障害と診断されていく。

 


放課後デイで働いていて、

 


最初は、簡単に診断されている状況(と、私には見えていた)に、怒りが沸いてた。

 


私が2年かけてやった苦しい障害受容を子どもたちにもさせるってことでしょ。

 


なんでって思った。なんでこんな苦しみを与えるの。

 


でも医療と繋がるためだと知って、納得。

 


この社会で生きるためには診断が必要になることもある。

 

 

 

 


でもね、社会の外で生きる生き方もあるよ。

 


私は、そういう生き方をしてる。

 


フラットアーサーという生き方。

 


世の中の嘘にひとつでも気付けたら、芋づる式にあれもこれも。

 


世の中の見え方がガラリと変わった

 


人生がひらけた。楽しくなった。周波数の近い仲間と過ごす時間が増えた。

 


楽しさの先には楽しさしかない。

 


私のこれからの一年は、楽しくなる一択。

 


わくわくしかない。

 

 

 

障害の概念のない世界を作る!!

 


調和を目指すよ!!