なつこの想いを言葉にするブログ

ADHD(診断済み)なつこが生きやすくするためにしてきたこと、感じていることなどを言葉にしていきます。

機能不全家族を考える。

機能不全家族は8割という言葉をよく聞くけど、機能不全個人や機能不全社会という言葉は聞かない。ちょっと考察してみる。

 

そもそも社会の最小単位は家庭だとかよく聞くけど、私は最小単位は個人だと思ってる。だってさ、自分はひとりだけど自分の中に複数の自分がいるでしょう?それが、インナーチャイルドやインナーアダルト。

 

自分自身との関係性が良好なのか否か。自分自身に対してダメ出しや自己否定をしているなら、自分自身との関係は良好とは言えない。うまくいってる人は自分の良いところも悪いところも肯定してる。

 

「自分は自分のままでいい。大丈夫」と思えれば、等身大の自分以上のことをしないんじゃない??

 

学校や社会から、こうあるべきとか、頑張るのは良いこととか、周りとの比較とか、自分のためより他人のためとか、ずっと刷り込まれてきてる。特性があると、子どもの頃から何か違うと感じ、感覚過敏があれば、みんながすんなりできることも、頑張ってもうまくいかなかったりする。

 

学校は、できないことをやらせようとする。できないところにフォーカスする。令和になっても、学校は比較と競争の価値観。通知表の評価システムも、全体主義も、権威主義も、多数派に合わせた仕様になってる。

それを受けて、親(母親に多いように思う)が勉強をさせようとするが、それが過干渉となっていく。機能不全家族の始まり。

 

「義務教育ぐらい行ってないと」とか「親のしつけが」とか、全部、親の責任にされる。無理矢理学校に連れて行って、子どもがうつ状態になったとしても、学校の先生は「先生も人間。間違うこともある」とか、一年で担任が変わったりして、子どもに対する責任なんて絶対とらないじゃん。

 

社会問題を医療の問題として置き換える、メディカリゼーション。これはwin-win。医療はビジネスだから。

 

学校の問題は、不登校の子どもたちの問題に置き換えられてしまう。子どもたちが問題なことってある?学校でしょうが。右肩上がりの不登校。安心安全でない場で勉強したって身につくはずがない。

 

機能不全家族は原因を家族に帰結させるため。社会の問題に目を向けさせないためだと考えてる。機能不全家族機能不全家族なんだけど、本当の問題をすり替える目的で出来た言葉なんじゃないかとすら、思う。