ADHD(エーディーエイチディー)って、カタカムナの数霊が110なの。これは、スサノヲと同じ数霊。数霊が同じということは、同じ振動数を持つということ。
もし私がスサノヲのエネルギーだったら、私は何がしたい?
この質問には即答で反応が来た。
世界を変えたい。
私のコンセプトの、障害の概念のない世界を作る。っていうのも、世界を変えるってことだよね。私の中では、もう障害の概念ってないんだけど、それだけじゃないって感じる。今は、感じるだけだけど。
世界を変えたいって、自分を変えたいってことなんだよね。だって、自分が変わらないで世界なんて変わらないよ。
「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」っていうでしょ。それのスケールが大きくなっただけ。
世界を変えたいって、できるとかできないとかじゃなくて、私が世界を変えたいって思ってるんだよ。
私が自分を変えたがっているんだよ。
自分のダメなとこに目を向けてたら、そんなのいっぱいある。
だから何?
できることだって、いっぱいある。
やりたいと思ったことをすぐに行動に移すところ。
素直なところ
柔軟性があるところ、ブレないところ、淡々と発信できるところ(これは、らからかさんに言われた🤗)
あと何かあれば、なつこに教えてください⭐︎
スサノヲについて、これ、私と同じ!やっぱりスサノヲなんだな☆と思った書籍の一部を抜粋するね。
素戔男神は、ヒゲとツメを抜かれて高天原を追われました。これは霊威も立場も失ったことを意味します。神としては一度死んだようなもの。それにより本領が発揮されたのです。
人も有能であればあるほど、〝今やるべきこと〟が定まらなければ、持て余すエネルギーを腐らせてしまい、自己満足に走ったり、マイペースになり進歩がなかったりしがちです。けれど、「もう後がない」という絶体絶命の状況になると、自ずと方向が定まるのです。
〜中略〜
類まれな能力を開花させた人や、限界を限界と感じさせない器の大きな人は、必ず人生のどこかで、死ぬような経験をしてきているものです。たとえそのような試練がなかったとしても、〝死んだような気持ち〟で生きる、もしくは、自分を〝限界状況に追い込む〟ことで、素戔男神の命の霊力を呼び込むことができます
。「大死一番」になって、傷つくこと、失うこと、そういった諸々の恐怖を忘れるくらい、今を真剣に生きるのです。
「神社ノート」羽賀ヒカル
これ読んでさ、あぁっ!って思わなかった?
書かれてる内容、追い込まれるとチカラ発揮するのって、ADHDじゃん😆✨
夏休みの宿題とかw
しかも、私もウツのどん底で一度死にかけてる。
「決める」って、ほんと大事なんだよね。私も、節目節目で決めてきたから、今がある。
どの方向に向かいたいのか。
これは私の体験談だけど、カタカムナ研究を、シュメールの神々と発達障害で決めかねていたときに、ほんとにどっち選んでもいいんだけどな〜って感じだったんだけど、カタカムナの吉野先生に
「何が一番知りたいか?自分に問いただしてみて下さい!いつも不思議に思っていることは?」
と言われ、シュメールの神々に決めて、読み解きはじめたら、自分でもびっくりするくらい読み解きができなくって😂
読み解いたところで私の好奇心が満たされるだけって、なんか違うな。研究したことが活かせるのが理想だな。と思って、発達障害研究をすることになった次第。
私の魂の生き方から外れると、なんだかんだで修正してくれるんだということを知るきっかけになった出来事。だから、安心して進めるの。自由意志を尊重してくれたんだね。
カタカムナの数霊の話に戻るけど、これすっごいんだよー。
ADHD(エーディーエイチディー)の数霊が110でスサノヲと同じ
ASD(エーエスディー)の数霊が103で、カタカムナ(統合する実体)‼︎
障害ではなく特性。私たちは、チカラを秘めてる。
自分のチカラを信じられる人(数霊300✨)に、なろう‼︎