昨日は、自分と向き合う日だった。
無価値感、無価値感、無価値感…。
誰かの役に立ちたいのに、私はなんの役にも立ってない。無価値感って、二次感情?役に立ちたいって思ってるから、役に立ててない→無価値感に繋がる。
じゃあ、役に立ちたいって想いを手放せばいいんじゃない?
それがあるから、無価値感が生まれるのよ。
なんか、大丈夫な感覚はある。
うつのどん底で、全部手放した経験があるから。いい娘も、いい妻も、いい母親も。
手放すのは怖かったよ。だって、それまでソレでやってきたんだもん。手放しちゃダメでしょ。でも、手放さなかったら、私が死んじゃう。そんな葛藤がありながら、手放した。というか、ぶん投げた。
だから、役に立ちたいって想いを手放しても、大丈夫って思えるのは、いい娘やいい妻、いい母親を手放しても関係が悪化することはなかったから。
全部手放したのは、自分を守るために必要なことだったし、私は相手に合わせすぎてたっていうのがよくわかった。過剰適応してたっていうのも。そりゃ病むよね。
考えてみたら「役に立ちたい」って想いは小学生の頃からあって、だからお手伝いもいっぱいしてきた。周りからは、一家にひとり欲しいよねって言われてた。役に立ってるのが嬉しかった。
役に立ちたいって想いが、悪いわけじゃない。でも、その想いが強いと、反対側にに大きく引っ張られることがある。それが、役に立ってない無価値感に繋がるんじゃない?って、思ったんだけど、
役に立ったとか、私が判断することじゃない。役に立ったかどうかは相手から判断されることなんだ。ここで課題の分離(アドラー心理学)だよね。
私は役に立ちたいと思っているって状態なだけで。だから、役に立ってないって、私が判断することじゃないのよ。
ってことは、、、役に立ちたいって、思っていいんだ。
私は、自分は役に立ってないって考えを、手放せばよかったんだ😊✨
ADHDなつこのLINE公式アカウント「障害の概念のない世界を生きよう」はこちら。日々生きやすくなるメッセージを配信しています。コーチングの申し込みもこちらからどうぞ♪→https://lin.ee/dLe8eOs