物心がついたときには、私はよく怒られたり注意されたりしてた。私はなんで怒られるのか分からなかったし、姉がしても怒られないのに私がやると怒られるってこともあった。なんで?なんで??って思ってた記憶がある。
そのうち、私が間違っていて周りの人の言ってることが正しいんだって思うようになった。
自分の意見を持たず、考えを持たず、だからと言って周りが求める私になれるわけでもなく。
自分を信用できなくなった時点で、人生が負のスパイラルに突入してたと思う。だけど、身体は生まれつきかすごく健康だったから、病気をしたり体調を崩すことはなかった。怪我はめっちゃしたけどね。
母親からはずっと、がんばれがんばれって言われていて、それに洗脳された。きっと母親も頑張らないといけなかったんだろうと思う。大変だったと思うよ。本家の嫁で自営業。
私は大人になってからもずっと頑張っていて、出産してからも頑張っていて、子育てを楽しむ余裕なんてなかったよ。それでも、子どもと型抜きクッキーを作ったり、できる範囲でやってたんだ。
みんながやってるように生きてきた。だってそれが正しいんでしょ?結婚して、出産して、共働きして、それを求められてるんでしょ?人生エスカレーター。何も考えなくてもやることやれば子どもはできるし、生活するために働かなきゃいけないし。みんなと同じようにやってる分には間違ってないと思ってた。赤信号みんなで渡れば怖くない的な。
正社員でワンオペ育児のママもいたし、夫に借金が発覚したママもいたな。母親になるって大変で、よくできるなあって尊敬した。私も母親してたけど、できることしかできないし。頑張ってたけど要領悪かったなって思う。大切なことの優先順位が明確になってなかった。
過去の私に伝えることができるなら、何を伝える?頑張らなくていいよ、とか?ううん、そんなこと言えない。だって頑張ってるんだもん。じゃあどうすればいいの??頑張ってるのに(ムキー)!!ってなるのは目に見えてる。頑張ってたのは私が一番わかってる。私にできるのは、過去の私に寄り添うことだけ。じゅうぶん頑張ってるよ。ぎゅ〜!って。
自分を信じられなかったらなんもできない。ぶっちゃけ自分否定してても生きられるよ。だけどしんどいよね。自分を否定するって、すごいエネルギーを浪費する。受け取っていいのに受け取れない。成果に対して自分で認められない。頑張らなきゃ認められないと思って頑張ってしまう。
私の人生が間違ってたって言いたいわけじゃないの。早々に結婚したのも、子どもを授かったのも、よかったって思う。起きた出来事が最善。すべてに意味がある。
うつのどん底経験はもう二度としたくないけど、その経験があったから私の極性逆転がもとに戻った。自分をはじめて肯定できるようになった。
今だってほっといたら優先順位低いことを頑張っちゃいそうになるし、やりたいはずのことなかなか手をつけられなかったりするし。これはなんか違うなぁとか、自分はほんとは何を求めてるのかなとか。何を伝えたいのかなとか。私も人生道半ばだけど、学んだことはアウトプットしていきたいんだ。
現代医学ではADHDって先天的な脳の器質障害なんて言われたりするけど、嘘、嘘。ADHDの原因なんてわかってないんだよ。ADHD治療薬だって作用機序わかってないもん(コンサータの添付文書に書いてある)だけど、ADHDは慢性的なストレスによる極性逆転。だとすると、改善する方法って見えてくると思わない?
ブログ 発達障害とは?
私たちは医療利権を成り立たせるために生きてるわけじゃない。受動的に生きてたら障害にされかなない。だって社会は経済を成り立たせるためにたくさんの不安をぶっ込んでくる。老後2000万円問題とか環境問題、戦争、災害(人工地震、人工降雨)働ける人間は働けって圧を感じるよ。終身雇用崩壊して久しい。不安定な派遣ばかり。
社会は私たちに不安でいてほしいんだよ。その方がコントロールしやすいから。不安煽ってお注射打たせるのだってそうでしょ。発達障害だってそうだよ。特性があるだけなのに、障害ってレッテル貼る破壊力を考えたことある?ほんとにそうなっちゃうんだよ。ありのままを認めてくれる人が必要なんだよ。あなたもマル、私もマル。そういう社会にしていきたいんだよ。