発達特性がある人って、人の気持ちがわからないとか、よく言われるけどさ、じゃあ、定型発達は人の気持ちがわかるのか?って話。
人の気持ちがわかるのであれば、なんで、ストレスを感じる第一位が人間関係なの。人の気持ち分かるんじゃないの。
特性がある人同士で分かり合えるんだったら、人の気持ち分からなくないよね。特性のある人って感覚過敏や鈍麻がともなうことがしばしば。
入ってくる感覚(インプット)によって、出てくる反応(アウトプット)も違う。
たとえば、聴覚過敏の子が教室で大声を上げたとする。まわりから見たら、その子の大声が問題に見えるけど、教室内のうるささに耐えられなくて出た反応だったら?
よく、障害のある人の問題行動とかいうけど、問題行動をさせてる原因があるんだよ。
過敏による苦痛。
うるささ、人とのパーソナルスペースが取れない、蛍光灯がまぶしい、詰襟やYシャツで一番上までボタンを留める。
常識だからとか、学校で決まっているから、とか、わがままじゃないのに、我慢を強いられている人は多いと思う。
何かを見たり聞いたりしたときに、感じ方がそれぞれ違うんだよね。
特性を持っていない人は多数派だから、何かを見たときにおんなじ感想になるんだろうね。
いまの世の中、人と同じじゃなきゃ不安って人もいるかもしれない。でも感じ方って、ひとりひとり違っていい。環境も、親も、経験だって、なにひとつおなじ人はいないんだから、自分の感じたことを大切にしていいのよ。
でも学校って、全体主義だし、これが正しいっていうのを教えてくるから、
あれ?自分がおかしいのかな?って思っちゃうんだよね。
不登校になればなったで、学校の先生は不登校の子に学校に来させようとするし。苦痛だから学校に行けないのに、なんとかして学校に来させようとする学校側ってなんなん?人の気持ちわかってないのは先生じゃんね。
どっちが障害?とか思うけど、そんなんじゃなくて、単に、脳の特性。多数派じゃないだけ。
多数派に擬態している人も多くいるはず。ASD女子とかね(「自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界」サラ・ヘンドリックス 堀越英美 訳)←生きづらい方はこちらの書籍をお勧めします。紹介動画も出しています。
私は、根本的には人の気持ちはわからないものだと思ってる。だって、その人じゃないんだから。
じゃあ自分は、なにをどう感じてるのか?最初はわからなかったよ。鬱のどん底で、それまで、母親から見た良い娘、夫からみたいい妻を演じてきた。正解は外にあって、それを求めて頑張って頑張って、壊れた。
自分はなにをどう感じているのか。自分の気持ちがわかってきたら、だんだん自分の軸もできてきて、安全領域の中で自分の想いを発信させてもらうことを重ねてきて、ようやく、あの人はこう思ってるかもしれないな。この人は今こういう気持ちかな、というのを感じることができるようになった。
それはあくまでも、こう思ってるかもしれないな、止まりなんだよね。人の気持ちがわかるとかじゃない。想像力の話。だから、世の中で言う、人の気持ちがわかるって、多数派でしか通じないんだろうな。
多数派の中でしか通じないから、少数派がなんで奇声を上げるのか自傷行為、他害行為をするのかわからないんだと思う。
私は、第三者が「人の気持ちも考えなよ」っていうの、ぶっちゃけ要らない。全然見当違いなことあるからね。
よく、少女漫画である告白のシーン。男の子が断ったら告白した子が泣いちゃって、女の子の友達が「勇気出して告白したのにこの子の気持ちも考えなよ」とか言われるの。好きでもない子に告白されて、泣かれて、その友達に責められる男の子の気持ちも考えなよ‼︎って思うわ。気を持たせる方があかんやろ。
なんか、うまくまとめられてないけど、久しぶりのブログ、最後まで読んでいただきありがとうございました☆