なつこの想いを言葉にするブログ

ADHD(診断済み)なつこが生きやすくするためにしてきたこと、感じていることなどを言葉にしていきます。

アシア族の茶釜とヒヒイロカネについて

 


こんにちは!可愛いうちの猫ちゃんを撮ってはいるんだけど、編集とかよくわからないのと、BGMとかどうしようとか、ちょっとまだ最初の一歩が踏み出せないでいるADHDなつこです。

 

 

 

さて今回はアシア族の茶釜とヒヒイロカネについてです。

 

 

 

アシア族の茶釜とは、筑前国芦屋津金屋(ちくぜんのくにあしやつかなや)(現在の福岡県遠賀郡芦屋町中ノ浜付近)で造られた茶の湯釜で、現在は芦屋釜とよばれています。

 

 

 

ヒヒイロカネは、古史古伝における太古日本で様々な用途で使われていたとされる、伝説の金属または合金。緋緋色金、日緋色金とも表記(ウィキペディアより)

 


その比重は金よりも軽量であるが、合金としてのヒヒイロカネは金剛石(ダイヤモンド)よりも硬く、永久不変で絶対に錆びない性質をもつという。また常温での驚異的な熱伝道性を持ち、ヒヒイロカネで造られた茶釜で湯を沸かすには、木の葉数枚の燃料で十分であったとも伝えられている。(ウィキペディアより)

 


以下、アシア族の茶釜とヒヒイロカネについての私の考えです(^ ^)

 

 


最初に鉄の話をするね〜

 


まず、鉄には和銑(わずく)と洋銑(ようずく)の二種類があるんだけど、日本古来の砂鉄を炭で精錬した地金が和銑ね。

 


で、その和銑の原料の砂鉄には、真砂砂鉄と赤目(あこめ)砂鉄の二種類があって…

 


真砂砂鉄は、光沢のある漆黒色。やや粒が大きくて、純度が高めで品質が良い。そのなかでも玉鋼(たまはがね)は超高純度。

 


赤目(あこめ)砂鉄は、粒がやや細かくて色は脈石によって赤味がかってる。チタンや不純物が多い特徴があるんだけど、溶け易いから鋳物に向いてるんだって。銑押し法というやり方で和銑にされているよ。

 


これでピンときた人もいると思うけど、緋色は赤。赤目砂鉄から作られる鉄がヒヒイロカネってことなんじゃない?

 


もうちょっと深く掘り下げるね。

 


①アシア釜は錆びない。

②熱伝道性が良い。

③アシア釜の特徴はナマズ肌。

 


①和銑は500〜600年錆びない利点がある

③熱伝導性が良いのは薄造りとしているから。そのうえ重厚感を出しているため、すごい技術を要するのは想像に難くない。

④アシア釜はほかの釜と違いナマズ肌が特徴的。

理由のひとつ目は赤目砂鉄の粒子が細かいこと。2つ目はリンが含まれていること。リンには溶解した鋳鉄を流れやすくして表面を滑らかにする性質もある。事実、真砂砂鉄より赤目砂鉄の方がリンの含有量が多い。

 


不純物が多いことが合金といわれる所以なのかな。普通の鉄とはひと味もふた味も違うんだよこれが。

 


ちなみに、石川五右衛門斬鉄剣は、ヒヒイロカネ製と言われてるけど正確にはヒヒイロカネを作る技術が一部使われている、が正しい。だって赤目砂鉄使ってる訳ないじゃん。日本刀は真砂砂鉄だよ。玉鋼製だとなつこは考えてるよ。

 

 

 

日本に洋銑が入ってきたことにより釜の大量生産が可能になって、すごく安く手に入れられるようになったのよ。和銑のすごい技術があったのに。

日本の品質、良かったのに。

 

 

 

洋銑の茶釜はすぐ錆びちゃう。

 


すごいよね。日本の誇るべき文化。芦屋釜の里行きたいけど遠い〜。

遠野郡芦屋、山鹿に住んでいる方、そういうすごい技術や文化があったって誇りを持って欲しい。地元の図書館とかに歴史的資料とかあるんじゃない?

うぁ〜調べに行きたい〜!!

 

小中学生のみんなはもう夏休みの自由研究には遅いかな?私のこの興味を分けてあげたい!!

 

 

 


技術を手放して安くモノを手に入れること。これって豊かになってるって言えないよね。

豊かって、これじゃない。

 


豊かってなんだと思う?

 


私は自分の身体や心や毎日使うものを大切にしながら生きることかなって思う。

 


私は共働き時代製造の仕事に携わっていたけど、就業中は生産性を上げるために常に集中。ひたすら同じ作業の繰り返し。呼吸も浅くなって、自律神経を崩していった。パニック障害にもなった。

モノを提供するために、そこまで犠牲にする?

じゃあ最初からフルじゃなくてパートで良かったじゃん。って思うかもしれないけど、私もそう思うけど、そうすると保育園落ちるかもしれないからフルで働く必要があったんすよ!!

お子さん持つ親なら分かるでしょ?

ジレンマだらけだよね。

 


もっと、私たちが生きやすく暮らしやすくなる社会を目指して私は自分の想いを発信していくよ。

 


最後まで読んでいただき、ありがとうございます😊

 

 

 

 

 

 

 


↓以下読みもの添付しときます

 


『茶湯古事談』に「芦屋釜は摂津国のあしやにてはなし、筑前国の芦屋にて鋳釜なり、雪舟の下絵を最上とせり、雪舟は石見の人なりしか、時々芦屋の辺を通りありしを、治工請して下絵をかきもらひしといふ、一説には大内家其頃威勢さかんなりしゆへ、芦屋の治工をよひ、雪舟をも招きて、絵かかせ鋳させしといふ、松・杉・梅・竹の類なり、其子孫あれとも中頃切支丹の族を釜入有し時に、其釜を鋳たりしより、茶人芦屋の新釜を好ます、故に今世はつねの鍋釜をのみ鋳て渡世すとなん」とあります。

 


筑前国風土記』に「昔此地に釜を鋳る良工数家あり。下野国天明釜よりなほ精巧なり。其鋳物師は太田氏、朝廷より受領の官を給はり、蘆屋釜とて天下に其名いちじるし。蘆屋の向、山鹿の里に居たりし故、山鹿左近丞と称す。天正の比より漸衰て、長政公入国し玉ふ時、なほ其工人の家ありといへども、其職人ども皆賎工となり、其後に家絶たり。其末裔は博多姪浜に移り、近世は博多に在りて良工なり。やゝ古にも及ぶべし。土産門に詳にしるす。」「昔より此国遠賀郡蘆屋里に鋳物師の良工有。元祖は元朝より帰化して上手なりしかば、菊桐の御紋の釜を鋳て禁中に捧げ、山鹿左近掾と称せらる。本姓は大田なれ共、蘆屋の山鹿に居住せる故山鹿と称す。世に菊の釜、桐の釜とて、茶人の珍とするは此釜より起れり。上野国天命釜も名産なれ共、蘆屋釜には及ばず。京江戸の釜匠も、蘆屋流に伝ふる引中心(なかご)と云精巧の法をしらず。彼左近丞が末、慶長年中長政公入国の比迄は蘆屋に在て、鋳工多かりしが、其後断絶し、遠孫ども博多或は姪浜に来て鋳る。其中に大田次兵衛と云物勝れて良工也。江戸京の鋳工におとらず。国君も用ひ給ふ。江戸、京、長崎、隣国よりも是を求て、新蘆屋と称す。また古の蘆屋釜に、雪舟が図する所間々有之。土佐氏画工の図も有。又鍋鋤鍬を鋳る冶工は博多に多し。其居所を金屋町といふ。其余の町にも住す。」とあります。