なつこの想いを言葉にするブログ

ADHD(診断済み)なつこが生きやすくするためにしてきたこと、感じていることなどを言葉にしていきます。

ホームスクーリングはじめます

4年前、息子が中学不登校で、私もうつのどん底だったのにPTAの地区役員から逃れられなくて、高校も決めなくちゃいけなくて、すっごく苦しい時期だったな。

不安、できない、体力がない、気力がない。そんななかで地区役員をやると決めて、高校も息子と探した。小さな選択も自分の意志で重ねていった。それが今につながってるって思う。

あの頃は、PTAをやめるなんてできない。不登校とはいえ地域にもお世話になってるし、やめたらなんて言われるか分からない。村八分にあうんじゃないか、って本気で思ってた。

学校も、所属してないと不安だったんだ。息子が社会とのつながりを絶たれてしまったら?学校に所属することで、社会とつながれてるという感覚があった。高校を頑張って探したのも、つながりを絶っちゃいけないと思ったから。高校ぐらいは出てないと!って思いがあった。

結局、つながりってなんだったんだろう?

息子は、入ったN高をやめることになったけど、社会とつながれてるとかつながれてないとか関係なかったな。もしかしたら、誰かが言った呪いの言葉だったかもしれない。

 

学校に行かせない、という選択ができなかった私が、学校に行かなくても大丈夫だよって言えなかった私が、PTAを脱退する勇気がなかった私が、何もできなかった私が、少しずつ成長して、娘の中学ホームスクーリングにつながった。もちろん中学ではPTAは加入しません。任意だし。

 

これは、私の現実創造。

中学校には行かない、という娘の宣言も私の背中を押してくれた。うん。いいよ。行かなくていいよ。

過去に言えなかった言葉が言える。

中学校の校長に「新年度からホームスクーリングでやっていくことに決めました」と伝えられた。学年主任にも、担任とも電話で話をした。全然ブレない自分がいる。

今の自分に満足してるわけじゃないし、まだできてないこともいっぱいあるけど、4年前を振り返ると、私すっごく成長してるジャン!

怖くて、勇気がなくて、何も言えない私じゃない。

自分の意思決定をひとつひとつこなしてきた結果。

 

以前は権威が怖かったのよ。校長とか教育委員会とか、政治家とか。

最近、えらい政治家と話ができる機会が何度かあって、学校についてとか不登校とか特性とか、いろいろしゃべったんよ。十数年前に初めてお目にかかった時は、オーラがすごすぎて、こんなふうに普通に話ができてるなんて想像もしなかった。

いまは怖れはない。学校に行かないことで、娘の生きるチカラが奪われることがない。得意を伸ばすこと。いろいろ経験すること。これから楽しくなる感覚しかない。

決めるって、エネルギーが湧くんだね。あとは進むだけだから、迷いがない。

娘の小学校時代は迷いがあったからすごく苦しかった時もあった。迷いって、エネルギーがダダ漏れてる状態なのか。

 

今朝、中学のPTA地区長さん(娘の同級生のおとうさん)に連絡をした。その対応が神すぎて。

「現在は多様性が重視される世の中になり、その子その子の個性に合わせて教育を受けられる世の中になっているので、ホームスクーリングという方法はすごく良いと思います😊
自分は個人的に支持致します✨

ですがPTAに参加しないからと行って、地域の行事に出ずらいとは思わないで下さいね


というのも今年も夏祭りが開催されるので、去年はお手伝いとして参加してくれましたが、今年はお客様として是非遊びに来て下さい😉」

(LINE抜粋)

PTA抜けたら村八分とか、私の妄想でしかなかったのか。

 

これから、娘といろいろ学んで成長していきます!!

 

 

 

 

 

 

 

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発達障害とは?

特性が濃くても発達障害と診断されない人がいる。

特性が薄くても発達障害と診断される人がいる。

じゃあ、発達特性=発達障害ではないよね。

 

特性があっても障害とならない人は、自分は何が苦手で、何が好きかを知っている人だと思う。苦手に対してヘルプを出すことができたり配慮をしてもらう。好きなことにはとことん追求することができる。

 

今、子どもたちの発達障害の診断はずっと右肩上がり。なぜこんなことになってしまったか。授業中座ってられないから発達障害、授業中何度も質問して授業が進まないから発達障害、何度注意しても忘れ物がなくならないから発達障害、クラスメイトと仲良くできないから発達障害

学校でいじめがあって、学校に行けなくなったら発達障害。ん?おかしいよね。障害の診断が対症療法的。

 

もし、学びのスタイルが学校ではなくホームスクーリングだったら、これらは問題にならなかったよね。アインシュタインも学校が合わなくて母親が勉強を教えてた。あのまま学校に無理に行かせていたら適応障害になっていたと思う。彼は発達特性があったのであって発達障害だったわけではない。というのが私の考え。

 

よく、この偉人も発達障害だった。なんて記事が出るけど、発達障害の診断は医療機関精神科医が行うんでしょう?偉人である彼らには特性があるんであって発達障害ではない。彼らには発達特性があった、と言うべき。

 

いつから発達特性が良くないものとされるようになってしまったのか。私は権威主義が始まってからだと考えてる。王立協会でアイザック・ニュートンが会長になるまえは、実験をしながらわいわいやっていたのに、ニュートンが学会に権威を持ち込んでしまった。仮説→実験→結果という流れが主流となり、仮説が正しいと正当化するため細工が施されていく。

発達障害も、原因が脳の機能障害、脳の器質異常とされているが、それは仮説。ADHD治療薬は、モノアミン仮説に基づいて、こういうふうに効くんですよと医師から説明されるが、ADHD治療薬の添付文書を読むと、薬効薬理の作用機序には「メチルフェニデートは、ドパミン及びノルアドレナリントランスポーターに結合し、再取り込みを抑制することにより、シナプス間隙に存在するドパミン及びノルアドレナリンを増加させて神経系の機能を亢進するものと考えられているが、AD/HDの治療効果における詳細な作用機序は十分に解明されていない」と書かれている。つまり、モノアミン仮説もただの仮説のひとつにすぎないことがわかる。

そもそもADHDは先天性の障害といわれているのに治療とは?ADHD治療薬の正体は覚醒剤。覚醒させて特性を消しているに過ぎない。だから、薬を飲んで30分くらいしたら効きはじめ(現在流通しているADHD治療薬は徐放性)だいたい12時間効果が持続(個人差あり)そのあとどっと疲労感が押し寄せる。薬で治療ができるなら発達障害は先天性ではないのでは?なぜ治療薬と称しているのか?薬は学校に適応するため、仕事に適応するための対症療法でしかない。

 

現代の医学ではモノアミン仮説を前提として薬の処方がなされているが、この仮説の矛盾は研究者の間では古くから認識をされているそう。かわりに、ストレスホルモン仮説や神経栄養因子仮説などが注目されている。私自身の実体験からもストレスホルモン仮説の方が有力だと考えてる。

 

学校は未だ全体主義を引きずっていて、社会に出るより学校の方が過酷という印象を受ける。不登校になったらなったで、先生や周りの人間が「義務教育くらい行けてないと将来働けない」とか「いま学校に行かなかったらずっと引きこもりになる」という呪いの言葉を押し付ける。ちなみに、学歴とビジネススキルに相関関係はないということは証明されている。呪いの言葉で子どもや親の不安を煽り、エネルギーを消耗させていくことの方が問題。教師のなんとか学校に登校させたいという思いがこのような呪いの言葉に繋がるのだろうが、罪悪感を植え付けて将来を不安にさせて、学校に行けるようになるわけがない。

 

キネシオロジーによって、チカラを与える言葉とチカラを奪う言葉が科学的に証明されている(デヴィッド・R・ホーキンズの「意識のマップ」参照)いまの学校のシステムが、子どもたちからチカラを奪ってきた。その結果が2023年11月に発表された不登校30万人なのではないか。学校に行けない。じゃあどうするか。どんな選択肢があるのか。まわりは呪いの言葉をかけてくると思うけど、呪いの言葉だと気付くだけでもダメージは減らせる。後ろ向きではなく前向きに、自身を傷つけることなく選択して欲しいと願う。

 

さて、特性の話に戻る。発達障害という概念が入ってきたのは1980年代。そこから右肩上がりに増えてきた。発達障害は一般的には脳の機能障害、脳の器質異常などといわれるが、それは仮説でしかない。みんなと同じにできないから発達障害?現在、成功者と言われる人たちはみな特性を持っていた。1989年世界時価総額ランキングで日本はトップ5を独占、50位のなかに日本企業が32社も入っていた。一方、2022年には50位中、日本の企業は31位のトヨタ自動車の一社だけ。この30年ほどで何があった?優秀な人材が海外に流れたということも考えられる。けど、特性ある子どもを障害としてしまったことも大きかったんじゃないかと思う。まわりと同じようにできないから障害というレッテルを貼り、その子のチカラを奪う。そんなことを繰り返してきた結果が今なのではないか。学校では失敗をしないようさせないよう教育され、大人しくできない子は発達障害のレッテルを貼られ、チカラを奪われる。画一的な教育の結果、チャレンジをせず安定を求める人材ばかりが企業にのさばることになったのではないか。

 

ADHDって障害? 空気が読めない→物怖じしない。注意力散漫→興味ないことには注意を向けられない。ハイパーフォーカス→興味あることには没頭できる。忘れちゃう→忘れるから新しい情報を取り込める。じっとしていられない→エネルギーが有り余ってる。突発的な言葉が多い→直感が優れてる。すぐ行動しちゃう→フットワークが軽い。

これらをしちゃうことで/できないことで障害とされるのはおかしい。いま挙げた特性は成功者に共通してる。子どもの頃は破天荒だった人が多いでしょう?だけど当時は発達障害なんて概念なかった。いまはたくさんの子どもたちが診断されてる。レッテルを貼られてる。障害と診断して子どもを潰すことは日本の未来を潰すこと。2023年の11月に不登校が30万人というニュースが流れた。このなかに特性をもつ子たちも多いと思う。学校に行かなきゃいけないって思ってる子どもも多いと思う。だけど、令和元年 10 月25 日の文科省の通達から「学校復帰」の文言がある通知は廃止されて「社会的自立」を目指すことが明記された。子どもにあるのは教育を受ける権利のはず。まずは教育機会確保法を調べて欲しい(https://futoko-net.org/wp/wp-content/uploads/2022/01/9d33b46d877b26f5ef41bd0240f9cffb.pdf

 

発達障害は子どもだけの問題なんかじゃない。子どもに発達障害って診断をして、療育をしたり関わったりしてどんなことが起きたと思う?相手のなかに見出したものは自分の中にもあるんだよ。発達障害と診断された子たちと関わった大人たちが、自分のなかに同じ特性があると気付いた。それが大人の発達障害のはじまり。必要だから持って生まれた特性なのに、普通じゃないと否定して、今度はそれを自分のなかに見つけて自分を否定して。発達障害のレッテルは誰も幸せにはしない。だったら、あなたもマル、私もマル、で生きていい。ジャッジするからどんどん生きづらくなるんだよ。

 

「レッテルの力は破壊の力である」と言ったのはアメリカの精神科医アレン・フランセス。「正常を救え」の書籍のなかで、

 

 精神疾患のレッテルは、大きな二次被害をもたらしかねない「しるし」になる。偏見はいろいろな形をとり、あらゆる方向からもたらされる。露骨であからさまな場合があるが、きわめてとらえがたい場合もある。それは残酷なことばだったり、冷たい笑いだったり、集団からの追放だったり、就職機会の制限だったり、求婚の拒否だったり、生命保険の謝絶だったり、養子縁組みや飛行機の操縦の不許可だったりする。だが、希望が前より持てなくなったり、必要でないときや頼んでないときにまで助けの手を差し伸べられたり、本人が気まずくなるほどの同情をしきりに示されたりすることも、そのうちにはいる。

 さらに、精神疾患心理的、現実的な二次被害は、自分に対する他人の見方だけから生じるのではない。問題の多くは、自分に対する自分の見方が変わることによって生じる。ーー自分は欠陥商品だ、正常ではない、価値がない、集団の立派な一員ではない、などと感じることによって。(p183)

 

と述べている。障害の概念のない世界をつくりたい私としては、心から納得する箇所だった。

 

いま、子どもたちを取り巻く環境は厳しさを増している。子どもの定期接種は昔と比べてかなりの数になっているし、ライフスタイル、農薬、睡眠不足、栄養不足、ストレス、感覚過敏/感覚鈍麻への無理解、愛着形成不全、いろいろな問題が子どもたちを取り巻く。今、私たちが生きづらいと思っているこの社会を、子どもたちに引き継がせることはできない。登校拒否の子やその親ががんばって形にしてくれた教育機会確保法を埋もれさせてはいけない。もっと知ってほしい。前向きに生きるために、使えるものは使っていく。だってそのためにあるんだから。

 

誰になんと言われようと、自分の人生の責任を取れるのは自分だけ。これからも発信していくのでよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

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娘が小学校卒業しました。

2024年3月25日小学校の卒業式。

先週、仕事帰りに学校に寄り卒業式の打ち合わせをした。式のあいだ体育館の後方2階から参加、式が終わったら教室に入らずに母娘ともに保健室待機。校長から卒業証書と修了証を受け取る、という予定でいた。

けど、娘の体調が崩れたのは卒業式前日の夕方。頭痛からの発熱。今年度こんなふうに体調を崩したのは初めて。心因性かな。式当日の朝、欠席連絡をした。

 

娘は卒業式に出るつもりでいたの。本音はどっちでもいいよ〜という感じに近かったかもしれない。行きたい気持ちもあるし行きたくない気持ちもある。その感じ、私もものすごーく分かるのよ。

だけど、意識の仕事は決めること。決めないから悩むことになるし、しんどくなる。

学校に行くなら行くで、そっちに現実を進めることができるし、行かないって決めたら、別のことにエネルギーを使うことができる。だけど思考って本当に自分が望んでることを邪魔するよね。

自分が本当に望んでることって、身体が知ってる。

 

簡単なオーリングってのでも分かる。

娘に指で輪っか作ってもらって繋げてもらう。「私は女です」だと、引っ張ってもガッチリ離れない。「私は学校が楽しいです」だと、チカラが入らずスルッと離れちゃう。NOってこと。娘は驚くくらいチカラが入らなかった。

 

こんな感じで、キネシオロジー(筋反射テスト)で知ることができる。ポジティブな刺激は強い筋肉応答を引き起こし、ネガティブな刺激は筋肉にあきらかな弱化をもたらす。

チカラを奪われるようなことを言われ続けたらエネルギー枯渇して、そりゃ学校にも行けなくなる。拒否反応も出る。私だって子どもが不登校になってから散々エネルギー奪われてきた。学校ってやべぇなって思う。

令和で比較と競争の価値観が抜けてないんだもん。娘と私にはその価値観は合わない。学校と繋がっていたら社会に出るときには完全な引きこもりになってるのが目に見える。

だから、中学ではホームスクーリングで学校からは離れる。もうエネルギーを奪わせない。普通がなんだってのよ。普通は幻想なのに、普通信仰。ひとりひとり得意なことがあって不得意なことがあって、それが人でしょうに。

教育機会確保法は登校拒否の先輩たち親たちが形にしてくれた法律。学校に行かなければならないなんて時代じゃない。自分の頭で考えて行動しよう、楽しいことたくさん見つけよう。

 

とりあえず6年間、お疲れ様。

 

 

 

 

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生きるって、シンプル

感情を解放しよう。

 

ひどいことをされたら怒る。

大切な人を亡くしたら悲しむ。

嬉しかったら喜ぶ。

楽しかったら笑う。

悲しかったら泣く。

 

こんな当たり前のことができないから、病んだ社会になってる。

自分を大切にすることができない。

自分より他者を大切にするように教えられる。

 

ちがうちがう。まずは自分を大切にするんだよ。

 

自分を蔑ろにされたら、自分のために怒るの。私はそんな扱いを受ける人間じゃないって。

大切な人を亡くしたら落ち込んでいいの。だって、そりゃ落ち込んじゃうよ。時々まわりにしっかりと落ち込ませないようにする人がいる。美味しいおやつあるから泣き止んで。とか、元気出して悲しむ顔は見たくないよ、とか。

わかるよ。私もそう言ってる側だったから。でもね、しっかり落ち込ませれば浮上できるようになってる。なのに、しっかり落ち込ませないから感情の消化不良が起きてる。

喜ぶっていうのも、謙遜しなさい。と言われて控えめな態度を求められたり、素直に喜ばなかったり。素直に喜べない状況ってどんな状況だ?三角関係??別に嬉しくないですよ風を装って嫉妬回避とか。

笑うっていうのも、すごく免疫がアップする行為なんだよ。笑うの大事!

よく、男の子なんだから泣くなとか、すぐ泣けばいいと思って〜とか、泣くという行為をさせにくくする言葉を耳にするけど、涙にはストレスホルモンを排出するデトックス効果がある。交感神経が優位になってると泣けないから、リラックスできる時間を作ろう。泣ける小説を読んだり、映画を観て涙を流すのもマル!

ポジティブは、ネガティブを「否定」することじゃないんだよ。「否定」がすでにネガティブなの。ネガティブを抑え込んでしまったら大きくなっちゃう。抑え込むんじゃなくて解放。ネガテイブを「肯定」するんだよ。

 

悔しかったねぇ、悲しかったねぇ、

ネガティブに気づいて、寄り添う。そうすれば心の奥底に残り続けて悪さをするようなことはない。感情にいい悪いはないんだよ。

 

あなたの全部が、マル!!

 

 

 

 

 

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重い思考は手放す

血液が入れ替わる期間、細胞が入れ替わる期間、皮膚が入れ替わる期間、があるならば、思考が入れ替わる期間もある。思考の新陳代謝

 

貶し続けて罪悪感押し付けられて、不安にさせて、恐怖で支配されたらメンタル病むの当たり前だよ。私たちからエネルギーを奪う言葉や概念の多いこと。

本当はありのままで価値ある存在のわたしたちなのに、〇〇しないと価値がないとか、勉強しないと〇〇になれないよ。とか、あなたは〇〇障害です。とか、男の子なんだから泣くな!とか、お腹がいっぱいなのに世界には食べられない子もいるんだからと完食を強要したり。

 

大人の身勝手でずっと繰り返す、エネルギーを奪う行為。そして、それが正しいんだと思って、大人になってから同じ過ちを繰り返す。おかしいおかしいと思いながらもやもやしながら生きるの、もうやめない?

 

エネルギーを奪うんじゃなくて、エネルギーを与えること。

私たちからエネルギーを奪うものから離れる。あなたにエネルギーを与えるものはなに?リラックスして、好きな飲み物を用意して、深い呼吸をしてみよう。

 

〇〇しないと価値がないって、相手が〇〇させたいがための言葉でしかない。コントロールしてくるような人とは離れる。勉強しないと〇〇になれないって?学歴とビジネススキルに相関関係はないってDaiGoが言ってた!あなたは〇〇障害です?今や精神疾患患者は右肩上がり。精神科を標榜する医院やクリニックも右肩上がり。これ治さないで増やしてるよね。対症療法でしかないからね。レッテルの力は破壊の力であるって、アレンフランセス(アメリカの精神科医DSM-Ⅳ編集委員長)も「正常を救え」の著書のなかで書いてる。男の子なんだから泣くなって、性別関わらず悲しかったら泣くよ。悔しくて泣くこともあるよ。感情を抑え込むとほかの感情も抑え込まれちゃうんだよ。感情を出すのは良くないことだって言った奴でてこい。食事の強要だってそう。残さず食べるのはいいことだけど無理をさせるのはどうなの。体にいいと過信して牛乳を飲まないのを残すのを許さなかったり、完食するまで許さなかったり。本来、食事って楽しむもの。苦行じゃないんだよ。

 

おかしい社会だよね、なんのために生きてるの。自分を肯定しよう。自分の意見を採用しよう。頑張った自分を褒めよう。自分からエネルギーを奪う考えは捨てちゃえ。自分にエネルギーを与える言葉を選択しよう。

 

 

 

 

 

 

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自分で自分を苦しめていない?発達障害は慢性的なストレスによる極性逆転

先日、職場での出来事。

工場のライン作業(ベルトコンベアで流れてくる箱にひたすらモノ詰める仕事)で、間に合わなくてラインを止めてしまうスタッフさん。

「12段で積んでいいですよ」

と言われていたスタッフさんは、15段で積んでいた。

「なんで間に合わないか、わかりますか?」と聞くと、

「私が積むのが下手だから」

との返答。

こう書くと、スタッフさんは若い女性なのかな?と思われるかも知れないけど、私よりもひとまわりくらい年上の女性。

実際、積むのがドチャクソ下手な人はいる、けどそれは稀。そのパートさんは下手ではない。

 

「〇〇さんは、下手ではないです。身長の問題です。12段で、と言われてませんでしたか?」

それに対し、

「だけど、15段の方がたくさん積めると思って…」

それで間に合わなくてラインを何度も止められたら余計にロス。12段で、って言った意図を分かっていない。

12段で積んでいたら間に合っていたものを、わざわざ自己判断でしんどい方を選択した挙句、ラインを止めて仕事の進行を妨げる。そして自分自身に対して「下手」のレッテル貼り。

 

うーん、、。どうしたら伝わるんだ?

 

「自分が下手だから」という言葉から、「自分は仕事ができない人間」という現実を引き寄せているように見える。

自分を否定していたら、そういう自分を引き寄せる。自分が劣っていると思わせるような現実を作り上げてしまう。

 

 

発達障害も、似たようなもの。

 

言っておくけど、発達特性の濃さで「発達障害」と診断されるわけではない。濃くても診断されない人はいるし、薄くても診断される人はいる。

 

ん?これって発達特性関係ないのでは。

 

どれだけ、生きづらさを抱えているか。

 

生きづらさとは、どれだけ自分を否定しているか、なのではないか。

 

だから、特性の濃さは関係ない。

 

私は鬱のどん底経験があるから分かるけど、自己否定、罪悪感を抱えていると、本当に生きづらい

鬱でADHDの私が生きていて申し訳ないという気持ちになる。役割としての私を頑張って、自分自身のための時間はあるはずもなかった。「しなければならない」に占められる私の生活。自律神経も崩れ、身体も動かなくなっていく。生きづらさのスパイラルにはまっていく。

 

私は、発達障害というものはない!というスタンス。特性はあるけれど、障害ではない。私は、慢性的なストレスによる極性逆転を知って、これだ!と思った。

 

いまの医学、製薬会社はモノアミン仮説の上に成り立ってるけど、モノアミン仮説は未だ仮説の域を出ていない。

ほかに注目されている説として、ストレスホルモン仮説や神経栄養因子仮説などがある。

 

私自身、ADHDと診断された際、自分が障害であることを受け入れられず、自分の何が障害なんだろう?と思い、付箋に特性と思われるものを書きだし、それをざっくりADHD特性とASD特性とに分けることにした。

今それを見ることができるけど、ADHD特性が20項目、ASD特性が27項目ある。現在その47項目の全てが問題ではなくなってる。

 

ストレスを減らしたことでなくなったものもあれば、私の捉え方が変わったことで問題とならなくなったものもある。

 

自分を否定していることで、自分を認めていないことで、精神はものすごく疲労する。ストレスにより栄養素も過剰に消費され、栄養不足にもなる。

 

この社会は、私たちのエネルギーを奪うかのよう。テレビも、ネットも、不安から情報を取りにいくと、不安な情報を集めていく。ただダラダラみているとネガティブなニュースが目に入る。

だから、自分主体の生き方にシフトすることが必要になってくる。極性逆転をもとに戻すの。

 

自分の意思で、情報をとりにいく。

自分はどんな情報がみたいのか。どんな音楽が聴きたいのか、どんな映像が見たいのか。自分で決める。

 

毎瞬、毎瞬、自分の主導権を手放さない。権威だろうが、なんだろうが、エネルギーを奪いにくるものたちから自分を守る。ひとりひとりが主体的に生きる。

 

そういう姿を、私たちが子どもたちに見せていかないといけないと切に願ってる。

人生って楽しいんだよ、好きなことができるんだよ、そういうたくさんの大人を見せてあげたい。

 

罪悪感は罪悪感であって罪悪ではない。押し付けてくるような輩はいるよ。見破って!

自己否定も、自分が自分を否定するなんてない!否定しているのは、よくよくみてみると親だったり、先生だったり、世間の価値観だったりするよ!

 

主体的な生き方ができるようになると人生が好転していくよ。極性逆転がもとに戻って、人生がうまくまわりだす。

 

生きづらさを手放そう。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます😊

 

 

 

 

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心の安全基地のはなし

2024年も、ひと月が経過。ちょうど1ヶ月前は、なつこ実家での新年会。昨年はあまりお手伝いしなかったけど、今回はちゃんとお手伝い😊(もともと過剰なまでにお手伝いする人間だった。過剰適応)

 

実家に着くと母親が栗きんとんを仕上げていた。栗きんとんの色が良くないことと、栗きんとんのゆるさを嘆いてた。

あんな詳しくないけどクチナシを入れれば黒ずまずに済んだのかな?市販品なら色も気にするだろうが、近しい親戚が集まるだけの新年会で振る舞う、手作りの栗きんとん。逆にその手作り感がいいのでにね。

 

「手作り感あっていいじゃん、市販品じゃないんだから色まで気にしなくていいんだよ。ゆるさも、少し冷めれば気にならなくなるよ、大丈夫、大丈夫」

と伝えると、

「そう?」

と母親。

 

そういえば、私の心の安全基地を育てて1年くらいになるかしら?私も鬱のどん底以前は失敗したときに自分を責めてた。

あれ?もしかしたら??

母親の心に安全基地ってないのかしら🤔辻褄が合うところと合わないところがあるけど、実際どうなんだろう?

実際のところは分からないけれど。

 

子どもの頃、私が母親に言って欲しかった言葉。責めるんじゃなくて、怒るんじゃなくて、大丈夫だよ。って言ってくれてたら、自己肯定感めっちゃ下がることもなかったのでは。でもその母親に心の安全基地がないんだったら子どもに対して「大丈夫」なんて声掛けできなかったよね。

 

大人は自分で愛着形成することができる。

あのとき、なんて言って欲しかった?

子どもの頃の自分に寄り添ってみる。

 

その感覚で、栗きんとん失敗したと嘆く母親に寄り添ってみたんだ。

「大丈夫だよ」って。

母親に伝わったかな。伝わってなくても繰り返し伝えるだけ。自分を肯定する。自分に優しくする。だって失敗したくてしてる訳ないじゃん。失敗はチャレンジした証拠。責められないよ。優しさを広げていく。チャレンジして失敗しても、大丈夫だよって。そういう世の中にしていきたい。私たちのために、子どもたちのために✨

 

 

 

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